2023年01月19日

どうする家康?と関徳との隠れた関係

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今話題の新しく始まった大河ドラマ『どうする家康?』ご覧になられた方も多いかと思います。舞台が戦国時代の愛知~静岡・山梨と続く地元地域なため地元愛知県民としてはとても興味深いですよね。

■津島市と戦国時代

さて、ここ関徳のある愛知県津島市には徳川家とのつながりのある歴史的文化財がいくつかあります。『どうする家康』では、物語のキーマンの一人となる織田氏の氏神として有名な津島神社があります。また天王川公園で毎年行われる天王川祭りに信長公が見物に訪れ、天王橋という場所から見ていたと言われています。

どうする家康?と関徳との隠れた関係 津島はその昔には港町であり、戦国時代には『台所』と呼ばれていました。
尾張を拠点とした物流の要であったことから、非常に重要な土地として注目され、その利点より織田家に抑えられていた土地でした。
津島という名前から、戦国時代にはここは海にせり出す島として機能し、かつ船が行き交う交流盛んな土地だったと伝えられています。
織田家を経て、どのように徳川家康がこの「あま・津島エリア」に関わるようになったのでしょうか。

1/15(日)放送分では織田信長公が家康公(当時:竹千代)と津島の港(津島湊)にてやり合うというシーンが放送されていました。
幼き竹千代が信長公と組合う背景に海が映っていましたね!


■徳川家とのつながり

徳川家には15代将軍まで続いた長い歴史があります。
そんな家康公は非常に子だくさんでも有名で、16人も子どもがいたそうです。
第9子の義直は尾張徳川家の初代藩主として働いたそうなのですが、非常に資産家であり、徳川家が尾張・紀伊・水戸と3つに分かれて藩を持つ中でも格式高く、大名家として君臨してたのだそうです。

また義直は学術・武芸に優れた人物で、弓なども親しまれたのだと言われています。
鷹狩りを楽しむ義直のために用意された休憩所がこの関徳のある城之越エリアにあり、『津島御殿』と呼ばれたそうです。

4000坪の広大な敷地に建てられ、堀を巡らせ、大木をいくつも植えられた立派な御殿だったそうです。
その津島御殿の管理をしていたのが関徳のルーツと言い伝えられています。
塀を築き、広大な敷地を管理していたのが関徳の祖先だと思うと、現在とのつながりに歴史のロマンを感じますね。
(現在も津島御殿の一部として、天然記念物に指定されているオオムクの木の記念碑が残っています)

どうする家康?と関徳との隠れた関係 ■戦国時代や江戸時代に思いをはせる

そこかしこに戦場の地や縁のある土地を持つ愛知県民としては、今回の大河ドラマはとても興味深いものです。

津島市周辺にも織田信長公や豊臣秀吉公、徳川家康公など、今回の大河ドラマで主要なキャストとなる人物ゆかりの土地が沢山あります。
関徳にお越しの際は、津島神社や天王川公園などの文化財めぐりをしながら、歴史に思いをはせてみるのはいかがでしょうか?


それでは、また次回!

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